福岡高等裁判所 昭和37年(ラ)5号 決定 1962年8月16日
抗告人(相手方) 山田末郎(仮名)
申立人 山田菊男(仮名)
相手方 山田洋助(仮名) 外三名
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は、抗告人の負担とする。
理由
抗告申立代理人は、原審判を取消し、更に相当の裁判を求める、というのであつて、その抗告申立理由は、別紙書面記載のとおりである。
一、遺産分割の審判は、相続財産の範囲について相続人間に争いのない場合に限つて、なさるべきであつて、これが範囲について争いある場合は、民事訴訟手続によるべきであるとの主張について。
民法第九〇七条第二項家事審判法第九条第一項乙類一〇号に規定する家事審判の対象となるべき遺産分割は、相続財産の範囲について相続人間に争いのない場合に限らず、その範囲について、争いある場合においても、家庭裁判所はこれを審理した上分割の審判をなすべきものと解するのが相当であつて、(昭和三三年九月二七日福岡高等裁判所決定、高等裁判所判例集一一巻八号五二三頁、昭和三四年三月五日大阪高等裁判所決定、同上判例集一二巻一号五三頁、昭和三〇年五月一八日仙台家庭裁判所決定、家庭月報七巻七号四四頁各参照。)これを否定的に解する所論には到底賛同することができない。従つてこの点に関する原裁判所の措置はまことに相当であつて、民法第九〇七条家事審判法第九条の解釈上誤りがあるとする論旨は、採用の限りでない。
二、相続財産の範囲について事実誤認があるとの論旨について。
所論は、(1)原審判書添付第一目録物件中御厨町の土地一一筆は、抗告人の妻マリコの父小山久一の元所有であつたが、同人に対してはその借金返済について抗告人が援助していたので、昭和六年頃同人が佐世保に転住するに際し、抗告人の妻に贈与したのであるが、戸主である新作名義に登記したものである旨、(2)原審判書添付第四目録記載物件中、栗越免字山頭一六四番田一反一畝二二歩、及び同所一七二番田一反七畝七歩の二筆は、抗告人の固有資産である旨、(3)同第二目録記載物件は山田タミの、同第三目録記載物件は山田スマの、各特有財産である旨、(4)以上の各事実が認められないとしても、前掲(1)の不動産については、抗告人の妻山田マリコが昭和六年以降、同(2)の物件中一七二番の田地については昭和七年以降、一六四番の田地については昭和八年以降、いずれも抗告人が、前掲(3)の不動産中第二目録物件については、山田タミが昭和一三年以降、同第三目録物件中中尾免扇畑六三六番畑七畝三歩、同所六三八番畑四畝二〇歩、同所六三三番ロ原野一畝二一歩の三筆については、大正一四年以降、同所六三七番田二畝二〇歩、同所六三五番畑四畝三歩の二筆については、昭和九年以降、いずれも山田スマが、それぞれ所有の意思を以て平穏且つ公然に占有し、善意無過失であつたので、占有開始以来一〇年を経過した時取得時効期間完成し、前掲各占有者が所有権を取得するに至つたのである。従つて被相続人新作が昭和二三年一月一五日死亡した本件相続開始当時は、右不動産は被相続人の所有でなかつた旨、それぞれ主張するにある。
そこで先ず(1)乃至(3)の各特有財産の主張について検討してみるのに、当裁判所も亦原審判に記載されていると同一の理由によつて、これを相続財産に属するものと判断するのであつて、この点について原審判に所論のような事実誤認の違法がある点は発見できない。すなわち、本件記録によれば、抗告人の妻山田マリコ及び抗告人が原審における取り調べに際し、前掲(1)にあたる主張をした形跡は何等発見できないのみならず、これを肯認するに足る確証も存在しない。当審に提出された乙第一乃至第八号証の疏明資料によれば、抗告人の妻マリコが小山久一の二女にあたり、御厨町所在の畑五筆及び山林四筆(第一物件目録三枚目表末尾三行目以下)が、元右小山久一の所有に属したものであることはこれを認めるに難くないけれども、該不動産は大正一五年以降昭和七年及び昭和一二年の三回に亘つて被相続人新作に所有権移転がなされていることが推認され、抗告人の妻に贈与されたことを認めるに足らない。乙第九、第一〇号証は、たやすく措信できない。
次に取得時効期間完成による各占有者の所有権取得並びに被相続人新作の所有権喪失について考えてみるのに、被相続人新作(長男明治二一年四月二〇日生)は、大正九年二月三日前戸主父多平死亡により家督相続をした後、昭和二二年五月三日日本国憲法施行に至るまでの間山田家の戸主であつた(乙第八号証)のであつて、その間及び昭和二三年一月一五日死亡に至るまで、抗告人夫婦とは同居していたのみならず、山田タミ及び同スマの両名が、昭和二二年二月二七日分家するまでの間、山田家の戸主としてこれらの不動産を占有管理していたことを、右乙第八号証によつて推認するに十分であつて、これを覆えすに足る的確な資料は存在しない。してみれば昭和二三年一月一五日被相続人新作死亡当時、同人はこれら不動産に対する所有権を喪失していなかつたことは極めて明白であつて、抗告人(三男、明治二七年三月九日生)はもとより。その妻マリコ山田タミ(長女、明治一八年一一月一九日生、昭和三六年一一月八日死亡)及び山田スマ(二女、明治二三年六月二九日生)がそれぞれ取得時効によつて所有権を取得したとする主張も採用できない。
三、相続人山田菊男及び同山田洋助が生前贈与を受けた財産額に関し誤認があるとする論旨について。
原裁判所は、相続人山田菊男(五男、明治三五年一月一一日生)は大正七年四月から同一一年三月まで県立長崎師範学校に在学したのであるが、その間被相続人新作(長男、明治二一年四月二〇日生)が大正九年二月三日家督相続をした後、右被相続人から金三〇〇円相当の学資援助を受けたものと認定するのが相当であるとし、更に相続人洋助(六男、明治三九年七月一〇日生)は小学校卒業後指物大工の徒弟見習となつたので、独立するまでの間金一〇〇円の大工道具購入費用などの援助を受けたものと認定するのが相当であると判断しているのであつて、本件記録を精査しても、右判断は極めて相当であつて、これに所論のような事実誤認がある点は発見できない。当審に提出された乙第一一乃至第三〇号証の各疏明資料を検討しても、前掲認定を覆えすに足らない。従つて右論旨も亦採用の限りでない。
以上のとおり原審判はまことに相当であつて、本件抗告は理由がないので、家事審判法第七条非訟事件続手法第二五条民事訴訟法第四一四条第三八四条第八九条第九五条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中園原一 裁判官 厚地政信 裁判官 原田一隆)
別紙
抗告理由
一、原決定は遺産分割の原審判に関する法律の解釈を誤つた違法があるものと信ずる。
(1) 元来遺産分割の審判は遺産そのものの分割につき協議が調わないとき又は協議することができないときに当事者の申立に依つて為すものであることは民法第九〇七条家事審判法第九条乙類一〇号に依り疑いないところである。従つて遺産であること自体については当事者間に争がないか又は確定判決があつて単に分割の方法につき協議不調若しくは協議不能の場合に、その方法を審判に依り決定するに過ぎないものと信ずる。それだからこそ、その裁判も疏明を以て足ることにしたものと思料する。
或る財産が遺産であるか否かの争いは分割に関する争でなく所有権の帰属に関する争いである。従つてその紛争は立証を待つて判決する民事訴訟に依るべきものと信ずる。
そこで本件においても原審の権限は当事者間に被相続人山田新作の遺産たることにつき争いのない相続財産についてのみ分割の審判を為し得べきものであつて、相続財産たることにつき争いある財産についてまで、それが相続財産に属するか否かを判断して分割の審判を為すことは権限外の行為に属し違法と信ずる。
(2) 然るに原裁判所は遺産の対象につき争いがある場合は、その対象が遺産に属するや否やを判定の上遺産分割の審判を為すべきものであると判示された。若し原審の如く解せんか例えば極端にいつて本件物件全部が山田新作の遺産でなく相続人中の或る一人の特有財産であるとか、相続人以外の第三者の所有財産であるとかの争いを生じた場合家庭裁判所は該財産が相続財産に属するや否や換言すれば山田新作延いてはその相続人の所有権に属するものか将た相続人外の第三者の所有に属するものかという重大な、しかも名目は相続財産の範囲決定といつても実質は所有権の帰属を単なる疏明を以て決し得ることとなり分割の審判を以て単なる相続財産それ自体の分割方法に関する処理とした法律の精神に反するものと信ずる。この意味において原審判は冒頭所掲の違法を免れないものと思料する。
二、仮りに右主張にして理由なしとするも原審判は、被相続人山田新作の相続財産の範囲に対する認定を誤つた不当があるものと思料する。
(1) 原審が被相続人山田新作の相続財産(以下単に本件相続財産と称する)と認定した原審判書添付第一目録物件中御厨町の土地一一筆(目録中御厨町普住免字中ノ尾四五番地畑二反二畝六歩以下一一筆)は、元抗告人の妻マリコの父小山久一の所有であつたが同人は訴外松本利和から百三十何円を借受け、その支払出来ざるところより出訴せられるに至つた。そこで親族の者が援助することとなり、昭和六年頃抗告人が娘婿である関係上八〇円を出し、他の子供が五〇円を出し合せて松本に対する右借金を支払つた。尤も抗告人は当時八〇円を所持しなかつたので山田新作所有の牛を売つて調金したが、その後新作から右金は久一の娘婿として抗告人が援助したのだから牛の金は自分に支払うよう要求し、これは当然のことでもあり、抗告人はその後かねての仕事先である訴外中山吉郎から百円を借りて新作に返した。その際田舎には殆んど見られなかつた百円札であつた為め一同非常に珍らしがつたものである。右中山に対する借金は寺の普請仕事をした収入で支払つた。
然るにその後昭和六年頃小山久一は佐世保の長井五作に勧められて御厨の家を畳んで長男行雄と共に佐世保の海軍工廠に勤めることとなつたが久一は転住に際し抗告人に色々迷惑をかけているから(八〇円援助の意味)とて前記一一筆の土地を娘マリコ(抗告人の妻)に贈与したものである。
叙上の事情を知つている新作は御厨の久一家が絶えることを憂え抗告人の子供を新作の姉タミの養子となし跡を継がせる目的でタミ及びその妹のスマを御厨の久一住家に転住させ、同人等は他の土地と共に右土地を耕作支配し抗告人の四男達雄をタミの養子となしたものである。かような経緯で右土地は表面は新作の所有名義となつている(本件土地に拘らず他の買受土地も田舎の風習的取扱いとして戸長である新作名義に取得登記をしたもので、之れは家族的、封建的思想の相当強かつた当時の田舎としては抗告人に限らず一般的取扱いぶりで自他共に敢えて意に介しなかつたものである。)が実際はマリコの所有であつて新作の相続財産ではない。(行く行くは達雄に贈与するとしても…………。)
(2) 原審判書添付第四号目録記載の物件中九七番地の土地以外は抗告人が買受けた自己固有の財産である。(原審で同目録中九七番地の土地につき同様の主張を為したのは何かの間違い。)元来新作は幼少の頃から病身であつて昭和四年頃から特に肝臓及び心臓弱く到底家業の農事に従事することは勿論妻帯も出来ず生活は専ら抗告人に依拠していたものである、抗告人は姉妹、妻子と共に農耕のかたわら自己は木材の仲介、製材の仕事等に精属し昭和初年頃より右土地その他原審認定の土地建物(原審判理由二の(ニ)(ホ)記載の分)を新築或は購入したものである。原審が他の土地、建物は抗告人の収入による購入と認めながら本件右土地のみは、これを否定し新作の購入と認定されたことは首肯し難い。
(3) 原審判書添付の第二目録記載の土地は原審主張の通り山田タミの特有財産である。
(4) 原審判書添付の第三目録記載の土地は原審主張の通り山田スマの特有財産である。
(5) 以上(1)乃至(4)の事実が疏明不充分の為め認容せられないとしても(イ)山田マリコは(1)の物件につき昭和六年以来、(ロ)抗告人は(2)の物件中一七二番地の土地は昭和七年以来、一六四番地の土地は昭和八年以来、(ハ)山田タミは(3)の地土につき昭和一三年以来、(ニ)山田スマは(4)の土地中六三六番地、六三八番地、六三三番地の(ロ)の土地は大正一四年以来、六三七番地、六三五番地の土地は昭和九年以来何れも所有の意思を以て平穏且公然に之れを占有し、占有の始善意にして且過失がなかつたのでそれぞれ右占有開始以来一〇年の期間を経過した時取得時効に依り所有権を取得している。従つて昭和二三年一月一五日被相続人山田新作の相続開始前既に新作は所有権を喪つているので之れを同人の相続財産と為すことはできない。
三、更に原審判は相続人山田菊男及び山田洋助の特別受益額(生前分与財産額)の認定が事実に反する。
(1) 相続人山田菊男は大正七年四月旧長崎師範学校に入学し大正一一年三月同校を卒業しているがその在学中及び卒業後菊男より少くとも千三百円の贈与を受けて居り原審認定の贈与額三百円は事実に反する。(贈与の時期、金額等の内訳は明細書を提出する。)
(2) 相続人山田洋助は指物大工の修得費及び数回の結婚費に少くとも千百五十三円の贈与を受けて居り原審認定の受贈額百円は著るしく事実に反する。(贈与の時期、金額等の内訳は明細書を提出する。)
四、以上縷述の理由に依り本件については、
(イ) 相続財産 一、〇一四、五二〇円 (審判書添付第一目録から御厨町の一一筆を除く)
(ロ) 分与財産 三五六、二〇〇円 (山田菊男受贈金千三百円の二七四倍)
(ハ) 同 四〇九、三一五円 (山田洋助受贈金千百五十三円の三五五倍)
計 一、七八〇、〇三五円
此の六分の一 二九六、七三〇円
が基礎となる各相続人の相続分であるから相続人山田菊男、山田洋助は民法第九〇三条第二項に依り相続分を受けることができない。
準備書面
一、本月一五日提出の抗告理由第三項の相続人山田菊男及び山田洋助の特別受益額(生前受贈財産)の明細は左の通りである。(原審では大体の見当でもよいから早く提出するように命ぜられ急遽提出の為め相当不正確の点を免れないので疏明の点をも考慮し抗告理由書記載の額に訂正したわけである。)
(1) 相続人山田菊男に対しては原審提出昭和三六年二月二日付申述書第三項記載の如き事情の下に同人在学中及び卒業後少くとも左の通り金千三百円の贈与を為している。
(イ) 被相続人山田新作は大正六年八月中無尽の落札金三八四円を所持していたが少くとも三八〇円は菊男の学資や入学中の費用に贈与
(ロ) 大正一〇年頃大野次郎(新作の妹の婿)より金三〇〇円を借用し同様贈与
(ハ) 日時不詳江迎町栗越面字山頭一五一番地の立木を二〇〇円で売却し同様贈与
(ニ) 同所平谷の立木を九〇円で売却同上
(ホ) その他月々送金等少くとも三五〇円贈与
(2) 相続人山田洋助に対しては原審提出前記申述書第四項記載の如き事情の下に、
(イ) 一八才の時熊本市の大工の弟子入をするとき四〇円
(ロ) 昭和四年一月より昭和九年頃迄五島のトラヤ家具店に家具大工の修業に行つたが右渡島の際及び渡島後大工道具購求その他生活費として少くとも一四〇円
(ハ) その後一度販郷し昭和一〇年頃田中ミカに求婚の際費用として八五円
(ニ) 右婚約不成立の為めその後前原ソノとの結婚及びソノ家出の為め復帰の交渉の費用として少くとも四二五円
(ホ) ソノと破婚後再び五島に行き上田クニコとの結婚に際し二〇〇円
(ヘ) クニコを同伴帰郷したがクニコ帰島の為め更に洋助も五島に移住したがその際七〇円
(ト) 渡島後数ヶ月にしてクニコと離婚し佐世保の海軍工廠に勤め同所で川崎キミエと結婚の約二〇〇円を各贈与している。